世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか

世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか

クリティカルシンキングロジカルシンキングなど世の中の MBA ブームが一巡し、MBAツールはコモディティ化した 。

また世界はアメリカを筆頭に、グローバリズムからナショナリズムの方向へ舵を切った。
論理や理性だけでは答えが出せない時代へ突入して生きている。

この本に書かれている内容は、抜本的なパラダイスシフトが起きている世界で生きていくためのエッセンスを教えてくれる。

デザインと経営には本質的な共通点がある。
その共通点とは、エッセンスを切り取って
あとは切り捨てるということだ。

エッセンスを視覚的に表現すればデザインになり、
そのエッセンスを文章で表現すればコピーになり、
そのエッセンスを経営の文脈で表現すればビジョンや戦略ということになる。

分析、論理、理性に軸足を置いた経営では、
今日のように複雑で不安定な世界において
ビジネスの舵取りをすることはできない。

その理由は主に3つ
1、論理的、理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつあるから
1-1 スキルのコモディティ化
1-2 論理的、分析的な情報処理スキルの方法論としての限界が見えてきたから

2、世界中の市場が自己実現的消費へと向かいつつあるから
地球規模の経済発展で、マズローの5段階欲求の5段目、つまり自己実現欲求が世界規模で発展してきたから。数十億人規模でありとても莫大。


3、システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生しているから


かつてマルクスは、人間自身が生み出した社会システムによって人間性=ヒューマニズムが失われる事態を「疎外」という概念を用いて説明した。

そして今マルクスの予言通り、日本をはじめとして世界中でこの疎外が発生している。
例えば会社だそうだ 。
人間が作り出した社会のシステムの一つである会社。
カイシャによって、そこで働く人たちのが生きがいを見出せなかったり、最悪自死することさえある。
まさに人間が作ったシステムによって人間性が破壊されている。

マックス・ヴェーバーは、疎外がはびこる社会において、システムに最適化することでシステムから多くの利益を吸い取ってやろうと考える人が数多く現れること予言した

彼の著書(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神)の中でやがて現れるであろう、システムへ最適化した人々について次のように指摘している。

現代の社会においてエリートと呼ばれる人たちは、
システムの歪みそのものから大きな便益を得ているため、
システムの歪みを矯正するインセンティブがない 。
現代社会が歴史上初めてこのような問題を抱えるように立ってるように思われるかもしれない。

しかし歴史を振り返れば、実は同じような状況がかつて発生していた。

5世紀から13世紀頃約800年間は、哲学者がいない空白の時期であった。
それは文化的退行と言うべき状態に陥っていた 時代ともいえる。

14世紀のルネサンスでは 、人間性=ヒューマニズム復権が起こった。
それまで神様に委ねられていた真善美の判断を自分たち人間が行うようになった。

この大きな転換が、全部それぞれに対応する形で科学、哲学、芸術の大きな発展に近かった 。

これから1000年後の31世紀の世界の歴史の授業において、
21世紀が文化的停滞の暗黒時代として教えられるのか、
あるいは2世紀に渡った文化的携帯を終焉させた2度目のルネサンスとして教えられるのか、
それはひとえに私たち自身の選択にかかっている。

筆者の山口氏は壮大な観点から、今という時代を客観的に考察しかつ、願わくばこの 2世紀が人間性の復興、人間性の回復の時代となっていることを望んでいる。